金閣寺って燃えてるんだね/三島由紀夫『金閣寺』感想
三島由紀夫って、仲間に決起を呼びかけたのに誰も答えてくれずひとりさみしく自殺(そのうえ割腹!)した右翼で男色家のおじさんという雑な認識しかなかったんだけど(それゆえ個人的にはどことなく不気味な存在だった)、さいきん映画『東大全共闘v.s.三島由紀夫――50年目の真実』ではじめて動いている姿をみて、あれ意外と普通の人だ(しなんならちょっと魅力的だ)なと思っていた折、ちょうどいいタイミングで新潮文庫のプレミアムカバーに『金閣寺』があるのを見つけたので、買ってみた。
初めてこの作品を知ったのは中学生のとき、金閣寺に憑りつかれた青年が金閣寺を燃やす話と聞いて、すげー話思いつくもんだなと思った記憶があるんだけど、まさか実際の出来事をもとにしてるとは全く知らなかった。金閣寺って燃えてたんだ。
率直な感想は、とにかく文章がめちゃくちゃうまい(ちょっとバカっぽい感想だけど)。「うまい……うまい……」といちいち感動していた。該当箇所は多すぎるので、また気が向いたら追記する。
内容は全編通して哲学的で、(個人的に前知識がある)フロイト―ラカンを感じる部分もいくつかあったからそこまで難しくはなかったけど、全体的に難解ではあった。眠いときとかに読むとてんでだめ。
いくつか気になったのは、女性の登場人物が概してヒステリー気味だったことと、鶴川の死が実は自殺だったことが終盤に明かされたこと。
前者に関してはフェミニズム的な批判で、これは男性主人公の一人称視点の物語という点も大きく影響していると思うけど、出てくる女性はだいたい好いた男に振り回されるノータリンで、偏見まみれの主人公から与えられる情報しかないため彼女たちが本当になにを考えているかがさっぱりわからない。この物語のなかで物を考えているのは男性だけのような印象を受ける。
後者は単純に好みの問題で、明るく見えた鶴川も実は苦悩を抱えており、最後は(主人公からみたら凡庸な苦悩によって)自殺してしまったというエピソードをみたときは結構グッと来たけれども、明るく見えた者にも実は苦悩が~というのはかなりありきたりではないか?(本質はそこではないことはなんとなくわかるけども)
実際の事件について知ると、このラスト、特に最後の一文は一考に値する。三島はなぜそのラストを現実と相反するものにしたのか。
でもまあ、三島の意図はどうあれ、この”作品”のラストはこれでないといけなかったというような気はする。だって生きるために金閣を燃やしたんだし。金閣が生きて溝口が死ぬか溝口が生きて金閣が死ぬかのバトルだったわけで。
さきほどラストについて検索をかけてみたところ短い論考が引っ掛かり、読むと数多の三島研究が引用されていて、今となっては(三島研究が多いことには)何の疑問もないけれど、ものすごい文学者なのだなと改めて思わされました。それらを読んでいると、つらつらと書いてきた感想がすべて稚拙なものに思われてすべて消したい衝動に駆られたが(金閣を燃やすがごとく)、しかし、論考と感想はまた違うので……。
フィンランド大使館のメッツァ・パビリオンに行った
参加予定だった渋谷のイベントが土曜の昼ごろ開始だったため、金曜の仕事後に新宿で一泊することに(いちど家に帰るのがダルいので)。
イベントまでの空いてる時間をどうしようかなーと考えていたところ、駐日フィンランド大使館のツイートがたまたま目に留まった。
もい!大使館敷地内にあるメッツァ•パビリオンの無料見学ツアーを今週末も開催するよ!週末のおでかけに、いかが? 詳細👇https://t.co/uQrkqcGiGY pic.twitter.com/boAF4grHCF
— 駐日フィンランド大使館 (@FinEmbTokyo) 2021年10月28日
説明が終わると二階へ移動。
「女性が働きやすい」を謳うの法律違反にしてくれ/いくたはな著『夫にキレる私をとめられない』感想
自分で言うのもなんだけど、私もモラハラ気質なところがあり、近しい人に不用意に(……とも思っていないのが問題なんだけど)キレてはあとで反省するということがたまに起こるので、何か参考になるかと思い読んでみた。
著者の前作『夫を捨てたい』は未読、だけど広告で何度か見かけたことがあって、その狭い範囲でみた限りではかなりヤバそうだった”夫”が、第二子(第三子だったかも)の誕生をきっかけに改心し”よい夫、よい父親”になったところから話が始まる。
夫が家事や育児に積極的に取り組むようになり、嬉しい反面なぜかちょっとした嫌味や小言(例:子供と公園に遊びに行って帰ってきた夫に「なんでそんな汚れてるの?私ならそんな遊び方しない」)を言うのが止められなくなる著者。
落ち着いた時期もあったものの、第四子の妊娠・出産、副業の開始などのライフイベントを経るなかでモラハラはエスカレートし、最終的に夫に「それモラハラだよ」と指摘されて初めて著者は自分の加害と向き合うことになる。
モラルハラスメントが絶対悪なのは大前提として(でも一応書いとかないとね)、著者がそうなってしまった理由もよくわかる、というのが正直な感想。
同じことをしてるのに、自分がしても「当たり前」、夫がしたら「良い旦那さん!」、子供全員分の育児休暇を妻が取得、同期の男性が昇給や出世をする一方で時短勤務で働く妻は(時短勤務ゆえに)うまくいかない仕事や投げかけられる「定時で帰れていいよね」等の言葉にストレスがたまっていく。
「同じ地獄に落ちてほしい」気持ちがあったと著者は描いているけど、そりゃそうよ。あんな優しくない世界にいたら、そう思うようになると思うよ。
この手の「妊娠、出産を機に夫婦間の溝が深まる」著作物、もちろん前からあったと思うけど、ここ最近は男性側の視点からの内省的なもの(記事やインタビュー等含む)もときどき見かけるにつけ、良い傾向だなと思います。これは個々人の問題というより構造の問題であり、また構造が生み出す個々人の問題でもある。
一週間ほど前に話題になっていたNHKの男性記者の方の記事なんかがいい例だと思う。
妊娠、出産を通して肉体も自分を取り巻く環境も一変する女性と、なにひとつ変わらないまま我が子の誕生を迎える男性のあいだにはそもそも非対称性がある。
社会構造は育児から男性を排除しているけど(男性が育児休暇を取りにくかったり、行政が”イクメンスピーチ甲子園”なるものを開催したりする)、そのことを育児に関わらない正当な言い分として使っている男性も多くいる。
NHKの男性記者の反省も木村さんの反省も似ていて、ふたりとも仕事が忙しいから育児に参加していなかったはずが、いつからか育児に参加しないために仕事をするようになっていったと二人とも振り返っている。
ジェンダーの問題は構造の問題に帰されるのが常だけど(そもそもジェンダーが社会の産物なので)、この問題に至っては構造と個人とが共犯関係にあるよね。前述のとおりそもそも非対称性のあるところから始まって、妻ほどの熱量で育児に関われない夫はどんどん育児から離れていって、でも社会はそれを問題ないとしているからますます育児から離れていって……。
それでいえば、男性の育休取得率は少しずつ上昇しているけど、それと同時に”女性が働きやすい会社”みたいなのも見直していってほしい。”女性の転職サイト”とかさ。
「女性が働きやすいを謳う会社、育児休暇が充実してたり託児所があったりをその論拠にしてるけど、全ての女性が子どもを産むと思うな」という趣旨のツイートを最近見かけて、それももちろんそうだし、育休が充実していたり託児所が併設されていたりすることを「”女性”が働きやすい!」と特定の性別と関連付けて宣伝するの、法律で禁止にしたほうが良いんじゃないか?
それから、著者は自分のモラハラがエスカレートした原因として「職場でのストレス」「自分の収入が夫の収入を超えたこと」を挙げていたけど(某豊田元議員もこれに該当する)、これも世間ではどちらかといえば男→女のモラハラ事案が多いことと関係しているよね。やはりこの資本主義社会(あるいは新自由主義社会)においては”お金を稼いでいること”が人間の価値を図るひとつの大きな指標になっていて、お金を稼がない人の価値は低く見積もられる傾向にある。
それに関係して、「専業主婦の仕事は年収に換算すると〇〇万円!」みたいな、どこ発祥かわからないけどわりとよく目にする言説も、「お金を稼ぐことは価値のあること」というのを前提にしてるから、専業主婦の価値を高めているようで逆の結果になってしまっていると思う。
自分の食べるものを自分で作って、自分の着るものを自分で洗濯して、自分の部屋を自分で掃除するって、社会的な動物として基本的なことだと思うんだけど……それがままならないほど忙しい仕事をしてる人がいれば、それはその仕事の在り方が間違っているよ。
最近読んだ記事とか、それらを読んでいて考えていたことについて書いたらちょっと本題の感想からは大きくずれてしまった。
『夫にキレる私をとめられない』は「これからもいろいろあるけど頑張ってこう」というまあありがちな形で終わったけど、同じケースで離婚した夫婦とかもtwitterではよく見かけるし、紙一重だよね。”夫にモラハラしてしまう”系の書籍はほかにもあるようなので、ちょっとほかのも読んでみたい。